大人のブレーキのかけ方

今、PARCOに行くと、PARCO SYASというポップと木村カエラの写真の噴出しの中に

ブレーキは大人になってから

というのがある。
鯨の潮吹きblog:■鯨の一言 大人とヘタレ
http://blogs.dion.ne.jp/kujira/archives/1824448.html
なんつーのにも

後日、その事を友達や知合いに話せば
「それで良かったんだよ」と言ってくれた。
昔を知ってる人達は
「よく我慢したね、大人になったね」と喜んでくれた。

大人の選択をした。
鯨もそう思う。

そう思いながら
大人になったのか
それとも
ヘタレになったのか
わからない鯨だった。

なんてのがある。

codemaniaxの脱・公務員宣言 - どーすんのよ、俺。
http://d.hatena.ne.jp/codemaniax/20051023/1130061918
にもオチは

明確な答えなんて無い。

今必死で模索しているところである。

なんて書いてある。

22才の時、27才の職場の先輩を見て、輝いてないと思った。
正確には、やりたいことができない、やろうと思っているんだけどできないように見えた。
自分はそうはなりたくなかった。やりたいことをしたい。ブレーキをかけて転職した。理由はそれだけじゃないけれど。そこには輝いた 27才の先輩がいた。アクセル全開。

自分が 29才になった時、やりたいことができていた。思う以上にできていた。ブレーキは全くかけていなかった。5年が過ぎていたと思った時、ブレーキをかけられた。仕方なかった。ヘタレだった。しかし、周りから見ると輝いていたらしい。ブレーキをかけられた事には全く気付かれていなかったのだと最近になって知ることになる。
ただ、その頃、34才の先輩を見て、凄いと思った。こんな人になりたいと思った。
いつかこんな人になれるようになろうと、少しアクセルを踏んだ。しかし、全開になるまでには多少の時間がかかった。先輩から、いつからか凄いと言い返されていたが、それがいつからだったのかは全く記憶に無い。ふと気付くと、先輩達は目の前にいなかったりもする。

ふと、最近、ヘタレなのか大人なのか良くわからないが、沈黙は美徳である毎日だ。
三十半ばになり、いったいどれだけの凄い事をやれてるんだろうかと思う。凄いって直接言われないとわかんねーし、いや言ってくれる人がどんどん退職してしまって、後輩から凄いと言われてもなんだかなぁと思ってしまうし。「ありがとうございました」は凄いって言われているわけじゃないし。
輝いて見えるか、微妙だな。昔みたいに単に派手に見えるネタが少ないからな。自分のやっている事に新鮮味が無いわけじゃなくて、オルタネイティブぶっているわけでもなくて、単純に何事も実はほとんどの事はオーソドックスだと言うことを強調しているからだ。
やりたいことがやれてるか、微妙だな。実につまらない調整で、思うように直ぐ出来ず、やれてもタイミングがやや微妙にずれている事があるから。新鮮味に対するずれは、目立たないけど確実に事を成し遂げるまでには必要なことだし。何年かかるかわからないことが面白かったりするし。


ってなことをぼやっと考えてしまったのは、ちょっと人に「なんか骨が無いって言うか、ものたりないって言うか」と言われてカチンと来たため。まぁ別に俺の事を言っている訳ではないんだそうだが、「ものたりないだと ? 骨がないだと ?」と思う。そういう事を堂々と言って良い雰囲気になった場にいた自分がもどかしかった。言うのは自由だけど、俺のいる目の前で何を言っているんだこの人はと思いつつ、コイツにこんな事を言わせるほど俺は優しすぎるんじゃないかという事と、俺の存在感が空気みたいになってしまっているんじゃないかと。いやまぁ仲悪くないに越したこと無いけれども...外敵だと思われてないからなんだろうけれども...

言いたいのは、「俺は極太だぞ、コラ !」ってこと。

どーも、ここんとこ、ブレーキをかけすぎていたらしい。ファイーストインスローアウト ? 曲がり角差し掛かってブレーキ踏んだように見えてるみたいだ。

いやいや、スローインファーストアウトですよ、このカーブは。

時間かかろうと何しようと、誰もやってない俺しか出来ないことをやる。

沈黙は美徳だけと、もうカーブは抜けておかないとね。黙ってる間に後続集団は散らばってきてるし。先頭走ってるつもりかもしらないけど、そこは俺は前にも通った道なんだよねぇ。模索とか間合いとかいらねーし。やるだけ。

ストレートに入ってからしかアクセル全開の効果無いのよ。