おまえは中田英寿か

Hide's Mail 日本語の文化 2005.10.10
( http://www.nakata.net/jp/hidesmail/hml254.htm )
より引用

日本語には、主語を言わない文化、すべてを言い切らない文化、というものが存在する。これは日本語文化の素晴らしいものの1つだと思う。すべてを伝えなくてもそこには共通認識があり、“阿吽の呼吸”のようにお互いが理解しあえる。これは俺が知りえる限りでは、他の言語ではほとんど存在しない。

がしかし、それは時によって混乱の原因になることもある。例えば、よくB型の人は話が飛ぶ、なんて事が言われる。B型である俺のある友人 K は、海外では問題がないのに日本では話がよく分からない、と言われるという。
確かに彼の話は良く飛ぶ。しかし、彼の頭の中ではストーリーがつながっているらしい。というのは、彼自身がその文章に対する“主語”をはっきりとさせているから。がしかし、日本語には主語を省略する文化、というものが存在するために、話を聞いている僕達にはその文章に対する主語が分からない時が多々あるために、話が続かない。でも、これが外国語(例えば英語)なんかでは必ず主語があるために問題にはならない。

同様に、すべてを言い切らない文化、という所でもお互いの“共通認識”がない場合には話が続かない。だから、お互いをよく知っている仲の良い友達間での話方と、共通認識が存在しない人の間で喋る場合には話方を変えなければならないと思う。

最近、「主語がないよ、主語が」という話を若いもん(?)とした。
彼の言葉は「無いですかねぇ、無いか」だった。

俺は悪気があったり相手を馬鹿にするために、質問に答えることはしない。だったら最初から話もしないし…。ただ、相手がきちんと考えて質問をしていなかったり、自分が聞きたい答えを導き出すためだけの質問にはそれなりの対応をする。それが見ている人には不快に映ることもあるかもしれない。
でも、俺は必要なことだと思うし、続けて行こうとは思っている…。

続けて行こうと思う。中田英寿ではないが...