事象に着目する必要性

黄金の秋のはぶにっき "ふたつの「何故」" ( http://d.hatena.ne.jp/habuakihiro/20051008#1128738590 ) より全文引用

問題があります、と。これの原因を探る際に「何故?」と問います。5回のWhyなんてのも言われますね。ただ、ここでよく混在してしまうのが、「何故そんなことをしたのか?」と「何故このようなことが起こったのか」ということです。

前者は人の判断を問います。つまり責任を問うています。後者は言葉を変えると「この問題を引き起こしたものは何か」という風になります。事象を問うています。

このふたつはすごく微妙な違いなのですが、現状分析などの際には注意して切り分けないといけません。でないと問題の原因を探っているはずが個人を責めることに転じてしまいかねないからです。

あるシステムがあります。このシステムの利用率が低い。この問題を探る際に「このシステムが利用されない理由は何か」と問うのと、「何故このシステムを利用しないのか」と問うのでは、問われる側の感情は大きく変わります。罪を憎んで人を憎まず、とまで言うつもりもありませんが、人ではなく事象にこそ注目すべきだと考えます。使われていない、という事実にのみ注目すべきであり、使ってない人を責めるということになってはいけないのです。

この事を徹底しなければならない時があった。反省会というか事後見直し会 ?(うーむ、うまく翻訳できない:誰も日本語に置き換えないし)にて。(苦笑)

その場で出た発言に対し、「結局は個人攻撃になってしまいそうで恐いのですが...」等と前置きを付けるのは事象に着目してない証拠だなと思ったが、そもそもこうやって置き換えてみると良くわかる。次回は、これを自分の言葉で伝えられるようになっていよう。次の機会が直ぐ来ると困るんだけど、それはそれで。