独特の雰囲気

http://www.sasugagumi.com/hibi/077050307.html より

二十代のわたしは
八方ふさがりのチッさな箱の中でいつもこう叫んでいた

誰かのあとにつづくなんてまっぴらだし
誰かみたいになりたいなんて
これっぽっちも想わなかった

わたしはわたしになりたい
わたしは名前で呼ばれたい
強く強くただそれだけを叫んでいた

南流石

彼女を最初に知ったとき、何だこの人はと思った。なんとも言えないそのかもしだす独特の雰囲気、その受け入れがたい雰囲気は、このような叫びから来るものだったのかも。
年末になると、彼女の創作物を見ることになる。「あぁまた彼女か」とクレジットがなくても見てすぐにわかる。


彼女に似た独特の雰囲気を持つ人に数年前に会った。会ったその日に朝まで飲んで騒いで、なぜだか仲良くなった。
その彼女の作品を見るのはまれだけど、「あぁまた彼女か」とクレジットがなくても見てすぐにわかる。

その日、朝まで一緒にいた他の人から、最近になって、「あの日は伝説ですよね」とか言われた。
伝説?
会ったその日に打ち解けるような人は少ないんだろうなぁ、きっと。
それはわかる気もする。
また、その人からすればきっと彼女と朝まで飲んでた自分が想像の範囲を超えてたんだろう。その人でなくとも、彼女と話している私は、数年たった今でもかなり不思議らしい。それもなんとなくわかる。


ふと思う。

きっと、その頃は既に自分もその独特な雰囲気を持っていたのかなと。
また、そういう出会いがあるのも、自分というひとりの人間の見え方を形成する一因につながっているのだし、その独特な雰囲気を持つもの同士がわかりあうのも一瞬のことなんだろうなと。
そして、心の中で叫ぶなんてことはなかったけど、結果としてその独特な雰囲気によってかもしだされた存在感を、伝えてはならない時や相手もあるわけで、思うがままではあったとしても、いつまでもまんまでよいと言う事ではないという点を、もっと自覚しなきゃいけないな。

時には空気のように。